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名古屋地方裁判所 昭和38年(行)2号 判決

原告 曽我立己

被告 名古屋東税務署長 外一名

訴訟代理人 松崎康夫 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

原告訴訟代理人は、「(一)被告名古屋東税務署長が昭和三七年五月二六日なした、原告の昭和三五年分贈与税額を金九一万一一七五円、贈与税無申告加算税額を金二二万七七五〇円と決定した処分のうち、被告名古屋国税局長の昭和三七年一一月三〇日附審査決定により変更された、贈与税額を金二五万六六〇五円、無申告加算税額を金六万四〇〇〇円と決定した部分を取り消す。(二)被告名古屋国税局長が、前記被告名古屋東税務署長の決定に関し、昭和三七年一一月三〇日附でなした審査決定のうち、原告の審査請求を棄却した部分(贈与税額を金二五万六六〇五円、無申告加算税額を金六万四〇〇〇円と変更した部分)を取り消す。(三)訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求めた。

第二、当事者双方の主張

(原告の主張)

原告訴訟代理人は、請求原因として

一、被告名古屋東税務署長は、原告が昭和三五年中に原告の兄である訴外曽我豊郎(以下、豊郎という)より、別紙目録記載の土地(以下本件土地という)の贈与を受けたものとなし、同年分贈与税を法定の期間内に申告しなかつたとの理由の下に、昭和三七年五月二六日附で原告の同年分贈与税額を金九一万一一七五円、無申告加算税額を金二二万七七五〇円とする旨の決定をした。

二、しかしながら、後述のとおり、原告は昭和三五年中に本件土地の贈与を受けたものではないので、被告名古屋東税務署長の決定につき被告名古屋国税局長に対し審査請求をしたところ、同被告は昭和三七年一一月三〇日付で、贈与により取得したものとみなされる価額に誤りがあるとの理由の下に、原決定の一部を取り消し、贈与税額を金二五万六六〇五円、無申告加算税額を金六万四〇〇〇円と変更する旨の決定をした。

三、しかして、被告らは、前記各処分をなすに当り、被告名古屋東税務署長は本件土地の価額を金二八九万一五七五円、被告名古屋国税局長はこれを金一二九万〇三六五円と算定しているが、右算定は、いずれも何らの根拠なく恣意的になされたのみならず、原告は豊郎から本件土地を昭和三五年中に譲渡を受けたものではなく、昭和二八年一二月一五日これを買い受けたものである。尤も、その、その所有権移転登記は昭和三五年六月二一日経由されているが、右は次の事情に基くのである。

(一) 本件土地は、もと、豊郎の所有に属したが、戦災のため空地となり、同人はこれをそのまま放置していた。

(二) 原告は医師であつて、もと九州に居住していたが、出生地たる名古屋市において開業する目的で昭和二二年一二月六日来名した(甲第四号証の一、二)。そして、原告は本件土地を豊郎から賃借し、該地上に居宅兼診療所を新築し、右建築資金として、金二七万六〇〇〇円を要したが(甲第三号証裏面)該金員は豊郎がこれを立替え、原告は昭和二三年一月二六日より開業した。

(三) 昭和二四年二月一六日、原告は豊郎と協議のうえ、豊郎の前記立替金を毎月一万円宛返済することを協定し(甲第四号証の一、三)、原告は昭和二八年六月二六日、豊郎に対し、利息金を含めて合計金三〇万円の返済を了した(甲第四号証の一、四ないし一一)。

(四) 原告は、その頃から豊郎に対し、本件土地の買受方を交渉した結果、昭和二八年一二月一五日両者間に、代金を三〇万円とする本件土地の売買契約が成立し、原告は同日内金三万円を支払つた(甲第四号証の一、一一、第五号証の一、二)。

(五) そして、原告は、昭和三二年七月五日までに右買受代金全額の支払を了したが、右代金の支払情況は、次のとおりである。

(1)  昭和二八年一二月一五日金三万円(甲第四号証の一一、第五号証の二、第七号証の二、第八号証)

(2)  昭和二九年二月二八日 金五〇〇〇円(甲第五号証の三、第八号証)

(3)  同年四月二日 金二万円(甲第六号証の二、第五号証の三、第八号証)

(4)  同年五月一一日 金三万円(甲第五号証の四、第八号証)

(5)  同年一二月二〇日金三万円(甲第六号証の三、第五号証の三、第八号証)

(6)  昭和三〇年六月二四日 金五万円(甲第六号証の三、第五号証の六、第八号証)

(7)  同年一一月一五日金二万五〇〇〇円(甲第八号証)

(8)  同年一二月九日 金二万円(甲第六号証の四、第八号証)

(9)  昭和三一年三月六日 金一万円(甲第八号証)

(10) 同年六月二六日 金三万円(甲第六号証の四、第八号証)

(11) 同年一二月一三日金三万円(甲第八号証)

(12) 昭和三二年七月五日 金二万円(甲第八号証)

すなわち、原告は、昭和二八年一二月一五日本件売買契約の成立に伴い、その数日前訴外株式会社東海銀行代官町支店の普通預金より引き出した金四万円(甲第七号証の一、二)のうちから金三万円を豊郎に支払うとともに、その旨を自己の雑記帳に記載し(甲第四号証の一一)、豊郎も亦、自己の帳簿に入金の事実を記載した(甲第五号証の二)。昭和二九年二月二八日の金五〇〇〇円は、豊郎の帳簿に入金の記帳があり(甲第五号証の三)、同年四月二日の金二万円は、原告が訴外株式会社名古屋相互銀行今池支店(以下、名古屋相互という)の普通預金より引き出したもので、(甲第六号証の二)、豊郎の帳簿にも入金の記帳がなされている(甲第五号証の三)。同年五月一一日の金三万円は、原告が自己の手持金よりこれを支払い、豊郎の帳簿にの記帳入金がなされている(甲第五号証の四)。同年一二月二〇日の金三万円は、原告が名古屋相互より引き出した金員の一部より、昭和三〇年六月二四日の金五万円は、原告が名古屋相互より同日引き出した金四万円に自己の手持金を加えて、それぞれ豊郎に支払つたのであり、(甲第六号証の三)、豊郎の帳簿にも入金の記帳がされている(甲第五号証の五、六)。同年一二月九日の金二万円は、名古屋相互より引き出した金員の一部であり、昭和三一年六月二六日の金三万円は、原告が同日名古屋相互より引き出した金二万八〇〇〇円に自己の手持金を加えて豊郎に支払つたものである(甲第六号証の四)。なお同年一一月一五日の金二万五〇〇〇円、同年三月六日の金一万円、同年一二月一二日の金三万円及び昭和三二年七月五日の金二万円は、いずれも原告の手持金より支払つたものである。(豊郎は、昭和三〇年六月二八日限り帳簿の記帳を取り止めてしまつたので、それ以降の入金は記載されていないが、原告は自己の手帳に前記各支払全部を記帳しており、これが甲第八号証である)。

四、なお、本件土地売買が、昭和二八年一二月一五日なされたことを示す一事実を述べる。

豊郎は、本件土地を所有していた当時、その一部を訴外溝口義雄に使用を許諾し、同人は該地上に簡易家屋を建て飲食業を営んでいた。しかるところ、右簡易家屋の敷地の一部が土地区画整理により道路となつたので、溝口は昭和二八年八月、豊郎の許諾を得て、右家屋を道路敷地以外の場所に移動させた。そして、原告は、昭和二八年一二月一五日本件土地を取得してからは、その一部を使用している溝口より土地使用料を徴収することとし、同人と接衝の結果、前記使用料を月額五〇〇円と定め爾来同人から右使用料を徴収していた(現実には現金の授受を省略して、原告の溝口方における飲食代金と対当額で相殺していた)。

五、以上の如く、本件土地は、昭和二八年一二月一五日売買されたものであるから、原告には、昭和三五年分贈与税の申告をなす義務なきこと当然であり、したがつて、本件土地が昭和三五年中に贈与されたものであることを前提としてなされた被告名古屋東税務署長の贈与税額の決定及び無申告加算税額の決定は全部違法である。よつて、該処分のうち、被告名古屋国税局長の審査決定により取消されなかつた部分の取消を求め、かつ、また、本件土地が昭和三五年中に売買されたことを前提とし、したがつて原告に同年度分贈与税の申告義務があるとし、ただ、その売買価額が高額に過ぎるとの理由により、被告名古屋東税務署長のした前記決定の一部を取り消し、一部を推持した被告名古屋国税局長の審査決定は、右維持の限度において違法であるので、該部分の取消を求める。

と述べ

被告の主張に対し

一、被告らは、原告の従来の申立に若干の齟齬があり、しかも何らの資料も提出されなかつたので、本件土地買売の真実の日時を認定する方法がなかつた旨主張する。なるほど、原告の中立に若干の齟齬があつたことは事実であるが、右は当時何らの資料も発見されなかつたため、原告が自己の記憶のみにより申立てしかもその記憶に多少の間違いがあつたために生じたものであるから、何ら異とするに足りない。さらに、本件審査手続においては、前記雑記帳(甲第四号証)を除き、何らの資料も発見されなかつたことは被告ら主張のとおりであるが、その余の多数資料が発見された今日においては事情が全く異る。豊郎は、本件審査決定と表裏一体をなしている自己の所得税更正通知に対する審査請求が棄却されたので、更めて徹底的に家屋内を捜索した結果、遂に、これらの資料を発見し得たのである。以下この点について詳述する。

(一) 一般に、兄弟その他極めて親しい関係にある当事者間において取引が行われるときには、更めて契約書その他の証拠書類を作成しないことが我が国における慣習であり、かような特殊な関係にある当事者間の取引に関し、何ら合理的理由がないのに証拠書類が作成されている場合には、当事者が何らかの目的で故らに書類を作成することが通例である。したがつて、むしろ何ら証拠書類が存しない取引こそ事実であり、その内容も、関係者の供述ないし関係者が単純な自己の覚えとして何気なく記載した文書等により、明かにされた処が真実と合致するものである。

本件土地に関する豊郎と原告との売買も、その例外をなすものではない。両名は兄弟として、かつ本件土地賃貸借契約の当事者として、互に深く相手方を信頼していたので、敢えて売買契約書を作成しなかつたのは寧ろ当然であり、兄弟間の取引につき売買契約書の作成及びその提示を求めることは、本来無理なのである。現に両名は、本件土地の賃貸借についても何ら書面を作成していないのであり、しかも被告らにおいても、右賃貸借については、敢えて契約書がなくともその存在を認めているのである。

(二) 原告は、被告名古屋国税局長に対する審査手続において証拠資料の提出を求められたが、前記の如く、本件売買は兄弟間の取引であるため、何ら書面を作成したわけでなく、したがつて、その提出は全く不可能であつたのであるが、原告において極力家屋内を物色した結果、ようやく、甲第四号証の一から一一の雑記帳を発見し、これを審査手続の終結間際において提出した。右雑記帳は、原告の日誌であつて、原告が来名以来経験した主な出来事が歴年式に記載されているものであり、文書の体裁及び内容よりして後日これを作成したものでなく、本件発生当時に記載されたものであること明かである。したがつて、前記審査手続においても、その証拠能力が高く評価され(現に被告名古屋国税局長は、原処分において「贈与」としたものを「売買」と認め、かつ、原処分の認めなかつた金三〇万円の売買代金の授受を認めたのも、右雑記帳の記載を信用したためと思われる)、売主たる豊郎側において右雑記帳の記載を裏付けるに足る資料が発見されたならば、売買契約成立の日時についても、右雑記帳に記載されている「昭和二八年一二月一五日」が真実であると認められ得る段階にまで到達した。しかるに、不幸にして、豊郎側においては何らの資料も発見されないうちに、前記審査手続は終結するに至つた。原告が本件において甲第五号証から第七号証として提出したものは、すべて右審査手続の終結後に、豊郎方において発見されたものである。

かように、本件土地の売買が昭和二八年一二月一五日に成立したことを証明するための資料の大部分は、右審査手続中には発見されなかつたものであり、したがつて、右審査手続は殆んど資料なくして行われたものであるから、右審査手続において、本件売買成立の日時についての判断を誤つたことは或る程度止むを得ないところというべきである。しかし、その後、前記各資料の発見された今日においては、右売買の日時は昭和二八年一二月一五日となすべきこと当然である。

(三) 以下、甲号各証に関する被告の主張を反駁する。

(1)  甲第四号証の一一に「土地の代金として有財で払うこととし、本日三〇〇〇〇円を高見に持参す」とあるのは、その記載日時たる昭和二八年一二月一五日に本件土地の売買契約が成立したことを示すものとして十分である。すなわちここに「土地」とあるのは、原告と豊郎との間で、本件土地を除きほかに取引がなされた土地がないから、本件土地を指すものであることは明かであり、また、「高見」とあるのは豊郎の住所が名古屋市千種区高見町六丁目一番地であるので、豊郎を指していることも明かである。しかして売買契約の締結により、買主は、目的物件の所有権を取得するとともに買受代金支払の義務を負担するものであるが一般に買主としては、買受代金の支払義務を完全に履行することに最も考慮を払うのであり(殊に、本件の如く売主たる豊郎は原告の兄であるから、原告が売主の債務不履行を危惧しないのは当然である)したがつて、原告が「土地の代金として有財で払うこととし」と日記帳に記載したのは、本件土地の売買契約が成立したので、その代金を支払うこととしたとの謂であり、結局、原告が本件土地の売買契約成立の事実を、これによつて負担することとなつた自己の債務の面より表現したものであり、したがつて、右記載が本件土地の売買契約成立の事実を示すものとして十分である。被告らは、右記載は前後の事情が不明である旨主張しているが、右前後の事情とは何を意味するのか判然としないのみならず、元来、日記帳である甲第四号証に売買契約締結に至るまでの詳細な経過が記載されないのはむしろ当然であり、かつ、原告は売買契約の成立に伴い、最初の代金三万円を豊郎に支払つた旨記載しているのであるから、契約成立後の事情についての記載に欠けるところはない。しかも、このことは、豊郎から提出された甲第五号証の二及び第七号証の二によつて十分その裏付けがなされている。また、被告らは、甲第四号証の九における一二月一九日の次の日付が不詳である旨指摘するが、右記載は本件土地の売買とは全く無関係であるのみならず、単に、原告が日付の記載を失念していただけのものであり、また二月一二日と二月一三日の日付が逆になつているのは、原告が二月一三日の記載をした後に二月一二日の出来事を思い出したので、これを記載しただけのことであり、いずれも本件土地の売買とは無関係なものであるとともに、甲第四号証の信憑力を左右するものではない。

(2)  甲第五号証は、元来、豊郎が自己の単純な憶えとして金銭の出納を記帳したものであり、後日何らかの証拠とすべき意図で作成したものではないから、これに前後の関連性がなく、かつ、毎日克明に記載がなされていなかつたとしても、何ら、その信憑力を減殺させるものではなく、却つて記載事項の真実性を裏付けるものである。したがつて、右はその記帳が断片的で残高確認の効用なきことは当然である。被告主張の如く、簿記会計の原則に則り心憶えのメモを誌すこと自体、非常識極りないところである。

次に、甲第五号証に記載されある昭和二八年一二月一五日より昭和三〇年六月二五日までの間における本件土地代金額は合計一六万五〇〇〇円であり、原告主張の代金額三〇万円と一致しないのであるが、豊郎は昭和三〇年六月二八日限り、甲第五号証の記帳を取り止めてしまい、同日以降に入金した本件土地代金が甲第五号証に記載されていないのである。したがつて、甲第五号証記載の合計額が売買代金と一致しないのは当然であるとともに、右は本件土地の譲渡時期の問題とは全く無関係なのである。なお、甲第五号証は、豊郎がその全収支を記帳したものではなく(このことは、たとえば家計上の支出が全く記帳されていないことによつて明かである)、豊郎が特に気付いた収支を記帳したものであるから、豊郎の全収支が記帳されていないことはむしろ当然であつて、何らその記帳の真実性を減殺するものではない。

最後に、被告らが指摘している昭和二九年一二月二〇日及び昭和三〇年六月二四日にそれぞれ地代として金三〇〇〇円の収入が記帳されているのは、本件土地に対する固定資産税が豊郎に賦課されていたため、豊郎が原告よりこれを取り立てていたものを地代として記帳したもので、所謂地代は固定資産税立替金のことである。

(3)  普通預金通帳の摘要欄に記事が省略されることは常識上顕著な事実であり、殊に預金者が払出しを受けた金員の使途は金融機関の関知しないところであるので、本来金融機関において記帳する預金通帳のみによつては、豊郎が払出を受けた金員を如何なる用途に使用したかを知り得ないのはむしろ当然で、原告はこれのみにより該金員の使途を立証しようとするものではない。

(四) 原告が、当初本件土地売買の時期を区々に主張した事実はあるが、その詳細は次のとおりである。

(1)  原告が、前記審査請求をなすに当り、本件土地の売買が成立したのは昭和二四年二月であると主張した事実はある。

しかしながら、当時は、甲第四号証の雑記帳は勿論、その他の資料も全く発見されていなかつたのである。したがつて、原告は、全く自己の記憶のみにより前記審査請求をしたのであるが、約一〇年以前の出来事について正確にその日時を記憶していることはとうてい不可能であり、原告もその例に洩れず、本件売買成立の日時についての記憶が正確を欠いていたのであり、殊に、豊郎が原告のために立替えた本件土地上の家屋建築資金の返済方法につき両者間に話合いが成立したのが昭和二四年二月であるから、この両者の日時につき原告の記億に混同があつたことは、ある程度推測し得るのである。さらに付言すると、本件土地上の家屋は、当初より原告の所有物件であつて、原告はその建築資金を豊郎に立替えて貰つたことはあるが、右家屋を豊郎より買い受けたものではないにも拘らず、原告は前記審査請求書においては、右家屋は豊郎より譲り受けたものである旨記載しているのであり、この一事によつても、右審査請求書作成当時における原告の記憶が極めて不正確であつたことは明かである。

(2)  原告が豊郎を相手方としてなした調停申立書においては、本件土地売買の日時を昭和二六年五月と記載したことはあるが、右調停申立は昭和三五年になされたのであり、昭和三七年になされた前記審査請求よりも約二ケ年以前になされたものであるから、右調停申立当時においては、原告が本訴において提出している資料は全部発見されておらず、原告が専ら記憶のみに頼つて書類を作成したので、本件土地売買の日時を約二ケ年間違えたのである。被告らは、右調停申立を所謂税金対策の如く主張せんとするようであるが、原告は、本件土地の売買が成立した真実の日時を証する契約書及び領収証は当初より作成されず、前記雑記帳等の資料も発見されなかつたので、漫然、登記を経由したのでは登記の日に売買が成立したものと誤認されることを怖れて、当時自己の記憶上において真実と考えていた売買成立の日時を明かにする目的で、調停の申立をしたのである。

二、被告主張の如く、不動産売渡証書が所有権移転のしるしとして重要視されていることは事実であろう。しかしながら、右は売渡証書の存在自体が、所有権移転のしるしとなるとの謂であり売渡証書の記載内容が全部真実であることにはならない。すなわち、今日一般に不動産の取引がなされる場合には、先ず売買契約書を作成して手付金(または内入金)の授受をなし、次いで残金の授受と引換に所有権移転登記の申請がなされるのであるが、右登記申請は殆んど司法書士にこれを依頼されており、しかして、売渡証書は、登記申請の段階に至つて必要となるものであるため、売買契約の締結当時においては未だこれを作成せず、登記申請の依頼を受けた司法書士が予め不動文字で印刷した用紙を使用しこれに必要事項を記入して作成している。そして、取引当事者は、売渡証書の作成も右登記申請手続の一部をなすものとして、その作成を全面的に司法書士に一任しており、依頼を受けた司法書士も亦依頼者に都合のよいように売渡証書を作成している。したがつて、売渡証書に記載されている売買の内容が、真実と一致しない例は枚挙にいとまなく、その日附も司法書士が現実にこれを作成した日時を記載する例が多いが、売渡証書は買主が完全に代金を支払つて登記申請の行われるときに作成されるので、売渡証書の日附は契約締結の日時と一致しないものの方が多い。

本件もその例に洩れず、豊郎と原告は、司法書士加納賢之助に対し所有権移転登記申請手続を依頼したが、その際売買代金が金三〇万円であつたことを申し述べたのみで、その余は挙げてこれを同司法書士に一任しておいたので、同司法書士は、自己の印刷用紙を用いて売渡証書を作成し、当事者の氏名及び目的物件を記載するとともに、その日附としてこれを作成した昭和三五年六月二〇日の日付を記載して登記申請をした。したがつて、本件土地の売渡証書(乙第二号証)は、豊郎及び原告が同司法書士に登記手続を依頼した日時を示すものとしては意味があるが、真実、売買契約が締結された日時とは全く無関係である。しかるに、被告らは、かかる事務取扱の実状を全く認識せず、売渡証書に記載された日附のみを援用し、同日売買契約が成立したとなすのは当らざるも甚だしいものである。

と述べた。

(被告の主張)

被告ら指定代理人は答弁として

一、原告主張の一、二の事実(但し、贈与の日時を除く。この点は後述する)及び三の事実のうち、各被告のした算定金額、原告主張の日時本件土地につき所有権移転登記が経由されたこと、及び、原告が医師であることは認めるが、その余の事実は争う。

二、本件課税処分の経緯は、次のとおりである。

(一) 被告名古屋東税務署長は、本件土地につき昭和三五年六月二一日豊郎から原告に対し売買を原因とする所有権移転登記がなされたことを知り、その調査の結果、当事者間における金銭の授受が明らかでなく、売買の事実を立証すべき証拠書類の提示もなかつたので、同署長は、所有権移転登記の日に豊郎から原告に対して贈与がなされたものと認定し、価額を金二八九万一五七四円と評価しこれに対する贈与税額を九一万一一七〇円、無申告加算税額を二二万七七五〇円と決定し、昭和三七年五月二六日原告に対してその旨の決定通知をした。

(二) これに対して、原告は、本件土地は昭和二四年二月代金三〇万円で買い受けたものであるとして再調査請求をしたが、被告名古屋東税務署長は、これを審査請求として処理することを相当と認め、被告名古屋国税局長に回付した。

(三) 被告名古屋国税局長は、右審査請求につき調査したところ、本件土地の譲渡時期は昭和二四年二月ではなくして登記の日たる昭和三五年六月二一日であること、代金額は金三〇万円であること、右三〇万円は不当に安い低額譲受に該当し、相続税法第七条により贈与税を課すべきものであること、したがつて、被告名古屋東税務署長のした処分については、贈与により取得したと認められる価額について誤りがあるので、その一部を取り消すべきことが判明した。よつて、被告名古屋国税局長は、昭和三七年一一月三〇日付でその旨の審査決定をした。なお、右審査決定にかかる取得財産価額、税額は次のとおりである。

2,891,574円(本件土地の相続税評価額)×(1-0.45《財産評価基準による借地権の割合》)= 1,590,365円(適用時価)

1,590,365円-300,000円(売買価額)= 1,290,365円(贈与があつたとみなされた部分の価額) 贈与税額 256,600円 無申告加算税額 64,000円

三、本件土地の譲受時期を昭和三五年六月二〇日と認定したのは、次の理由によるものである。

(一) 被告名古屋国税局長は、右の審査請求の段階において、原告に対する課税の適正を期するため、本件土地の譲受年月日について再三説明を求め、譲受時期の解明に努力を払つたのであるが、原告の回答はその都度、譲受の時期を変更し、いずれの時期が真実であるか判然とせず、この点に関する何らの証拠もなく、原告の申立によりその時期を判定することは不可能であつた(ちなみに、原告は、その時期を、当初は昭和二四年二月と主張し、本訴においては昭和二八年一二月一五日と主張し、或は原告と豊郎との間の昭和三五年四月二一日付所有権移転登記手続調停申立書によれば昭和二六年五月となつている)。

(二) このような状況のもとにおいて、その時期を判定し得る唯一の資料は、所有権移転登記手続に際して作成された不動産売渡証書であつた。そこで、被告は、その記載内容たる昭和三五年六月二〇日を以て本件土地の譲受時期と判定したものである。一般に、所有権移転登記は所有権移転のしるしとして重要視されているところであるが、被告は、右売渡証書が譲渡人たる豊郎から被告宛に作成されており、これにより、本件土地が登記されている事実に徴し、右譲渡証書は、本件土地所有権の移転に関する証拠として無視できないものと解した。

四、原告提出の日記(甲第四号証)或は甲第五号証から第八号証を以てしては、未だ、原告主張の如き譲渡時期を認定することはできない。すなわち

(一) 被告は、その調査中においても原告に対し、証拠があれば提出するよう再三要請していたのであり、したがつて、真実当時からこのような日記が存したものであれば、原告は被告の調査に対し、右日記がある旨述べるのが通常であるにも拘らず、そのようなものはない旨言明していたのである。このような事情に照すと、かかる日記が真実存在していたかどうかは相当疑問の余地なしとしない。

(二) 仮りに、右日記が真実のものであつたとしても、これにより直ちに本件土地売買の時期を昭和二八年と判定するのは相当ではない。すなわち

(1)  甲第四号証の一から一一をみても、昭和二二年一二月六日以降の記述で、この点について直接関係のある記事は殆んど無く、僅かに甲第四号証の一一において昭和二八年一二月一五日付として「土地の代金として有財で払うこととし本日¥三〇〇〇〇高見に持参す」とあるのみで、土地譲渡の時期が昭和二八年一二月一五日であるとの何らの記載も存しない。また、三〇〇〇〇円の金銭を持参した原因となるべき前後の事情が全然不明であり、かかる断片的な記載のみを以て、本件土地の譲渡時期を断定するのは相当でない。

(2)  甲第四号証の九においては、一二月一九日の次の日付が不詳であり、二月一三日の次の日付が二月一二日となつているなど日時が前後撞着している。

(三) 甲第五号証の一は、収入支出欄の金銭出入の記載が全く断片的であり、本来の出納帳としての前後の関連性がなく、取引を毎日克明に記載したものとは認められない(たとえば、四月二日訴外作の学資二万円が支出されているが、毎月の学資であれば、その後も送金を必要とするものと認められるにも拘らず、これが記載なく、また、四月一八日豊郎の小遣二〇〇〇円を支出しているが、その後の支出の記載ないこと等)。そして、右出納簿は、簿記会計の常識とされている毎月の残高確認の使命から遠くはなれ、簿記の使命たる自治検証の効果のない断片記録にほかならず、従来の税務経験からすると真実性のない記録である。

なお、原告は、昭和二八年一二月豊郎から本件土地の譲渡を受けた旨申し立てているにも拘らず、右出納帳の収入欄においては昭和二九年一二月二〇日三〇〇〇円、昭和三〇年六月二四日三〇〇〇円が、いずれも原告よりの地代として収入記帳されているが、原告主張の如く、昭和二八年本件土地の所有権が移転しているとするならば、豊郎に地代収入があるべきいわれはない。

(四) 甲第六号証の一及び第七号証の一は、原告が本件土地代金を支払つた事実からして、その譲渡時期を立証しようとするものであるが、元来、銀行の普通預金通帳の摘要欄は、記事の記入を省略するのが通例であり、右通帳写においても、摘要欄の記事が省略されて記入のない部分(たとえば、昭和二九年一月二二日、同年二月九日、同年三月二五日、同年四月二日等)があり、出金額すなわち、原告が銀行預金残高のうちより引き出した金額については、いかなる使途に用いられたか不明であり、したがつて、預金通帳の出金欄の金額が、豊郎への本件土地代金の支払に充てられたことの証拠とはならない。原告は、この普通預金からの出金額の目ぼしいものを拾つて、これが本件土地代金の支払に充当された金額であるとし、又、普通預金の出金額で足らないところは、手持現金を加えて支払つたものの如く主張しているのである。

(五) 甲第八号証のメモに至つては、その一部については、すでに被告が断片的で真実性なきことを指摘した甲第五号証の一から漫然転記した数字に過ぎず、また、他の一部については、被告が摘要欄の記述もなく出金の使途不明たることを指摘した銀行普通預金通帳の出金欄の数字を適宜拾つて彼此寄せ集めて作成した表に過ぎず、前後一貫した根拠のあるものではなく、したがつて、これにより本件土地の譲受時期が昭和二八年であることの証拠とすることはできない。

なお、本件調査の段階において、豊郎から被告に提出した原告よりの本件土地代金三〇万円の受取年月日及び分割収入金額を表示した表(乙第一号証)があり、その表の記載は、昭和二五年一一月一五日二万五〇〇〇円より始まり、次に一二月九日金二万円と順次記載されているが、これらの「年月日」は、甲第八号証中においては、昭和三〇年一一月一五日二万五〇〇〇円に始まり、一二月九日二万円と記載されている金額に相当すると考えられるのであるから、これらを彼此対比すると、甲第八号証は、原告の都合の良いように後旧作成されたものと認められる。

五、原告は、すでに昭和二八年一二月より本件土地の賃借人たる訴外溝口義雄から本件土地の賃料を徴収していた旨主張する。しかしながら、これを認めるに足る賃貸借契約書ないしは領収書の如きは全く存せず、また、賃料と飲食代金の相殺決済を立証する飲食店側の帳簿の記帳もない。世間では時にこれらを相殺決済することもないわけではないが、常に飲食代金が賃料を上廻るとは考えられないのであり、その間の差額の授受の証拠がない限り、そのような事実があつたとは認め難い。

六、以上の如く、本件土地の所有権移転の時期については、当事者が兄弟の関係に在ることから、その証拠は、後日において作成され易いことは当然推察されるところであり、一般に、所有権移転登記の日時において所有権が移転しているにも拘らず、税務官庁に対しては、これより前に移転したが、その登記のみが遅れていた旨申述して、その課税を免れんとする場合も少しとしない。そして親族間においては、他人間の場合よりもこの傾向の多いことは一般的に肯定されるところであつて、これは、租税の公平負担の維持からしても、とうてい許さるべきではない。したがつて、被告は、本件土地の所有権移転登記に際して使用された不動産売渡証書記載の売買日時たる昭和三五年六月二〇日を以て所有権移転の時期すなわち、これにより贈与により取得したものとみなされる原因が発生したものと認め、同年度の贈与税を賦課したものである。

と述べた。

第三、証拠〈省略〉

理由

一、被告名古屋東税務署長が、原告は昭和三五年中に原告の実兄豊郎から本件土地の贈与を受けたものとなし、且つ右贈与税を法定期間内に申告しなかつたとの理由により、昭和三七年五月二六日附で、原告の同年分贈与税額を金九一万一一七五円、無申告加算税額を金二二万七七五〇円とする旨の決定をしたので、原告は、被告名古屋国税局長に対し審査請求をしたところ、同被告は、同年一一月三〇日付で、原処分の一部を取り消し、贈与税額を金二五万六六〇五円、無申告加算税額を金六万四〇〇〇円とする旨の審査決定をなし、その旨原告に通知したこと、及び、本件土地につき名古屋法務局昭和三五年六月二一日受付第一、七五四号を以て、豊郎から原告に対し同月二〇日付売買を原因として所有権移転登記が経由されたことは、当事者間に争がない。

二、ところで、原告は、本件土地を豊郎から昭和三五年中に譲渡を受けたものでなく、昭和二八年一二月一五日これを買い受けた旨主張するので以下、この点につき判断する。

(一)  〈証拠省略〉を総合すると、

(1)  本件土地は、もと豊郎及び原告らの先代の所有に属し、豊郎において家督相続によりこれを取得したものであつたが終戦後は戦災のため空地となつていたこと

(2)  原告は医師であり、当時九州に居住していたが、出生地たる名古屋において開業すべく、昭和二二年一二月頃実兄の豊郎から本件土地を借り受け、その頃右地上に建物を新築し、昭和二三年一月下旬頃から同所において診療を開始したこと

(3)  右建物の建築工事費は金二七万六〇〇〇円を要したが、右はすべて豊郎において立替支払つたところから、原告は、昭和二四年二月頃から割賦で適当額を豊郎に対し返済することとなり、また、本件土地の賃料として、本件土地の固定資産税を原告において支払うべき約定をしたことを認定し得べく、他にこれを覆すに足る証拠はない。

(二)  ところで、原告は、豊郎に対し右立替金債務元利合計三〇万円を昭和二八年六月二六日までに返済し、その頃から本件土地の買受方を交渉した結果、同年一二月一五日両者間に、代金を三〇万円とする本件土地の売買契約が成立した旨供述しこの点に関し、原告方に存したとする書証甲第四号証、第六号証から第八号証を提出し、また、これに対応する売主豊郎作成の出納簿を甲第五号証として提出し、これらを彼此対比すると、原告の主張する前掲三の(四)(五)の事実関係を一応肯認し得る如くである。しかしながら、これを後に説示するところと対照して考察するときは、未だ必ずしも、本件土地が原告主張の期日に売買されたとは断定しかねるものがある。先ず、右甲号各証について、個別的に検討するに

(1)  甲第四号証は、その表紙に「歯科学」「北村講師」「曽我立巳」と墨書した雑記帳であり、第一頁から十数枚には右講義内容が筆記され、その後は、原告が昭和二二年一二月六日九州を出て来名して以来、昭和二九年一二月一一日までの出来事を歴年式に記載した日誌であり、その体裁及び内容よりして、後日の作成にかかるものではないと一応推認される(尤も、昭和二八年一〇月一〇日以降は、その日附がスタンプ印で顕出され、かつ、その頃からの記述は著しく簡略化し、最後の記載まで約二枚の紙面中に収録されている)。そして、右の昭和二八年一二月一五日欄には「土地の代金として有財で払うこととし、本日三〇〇〇〇高見に持参す」なる記載が存し、本件各証拠によれば、右「土地」とは「本件土地」を、「高見」とは豊郎を指称することは明瞭であるから、右記載によれば、一見恰も本件売買が同日成立したかに窺い得ないわけでもない。しかしながら、右記載に関しさきに指摘したところを考慮し、後記(三)で述べる事実をも総合して考察すると、右記載は、未だ当裁判所の心証を惹起しないものがある。

(2)  甲第六、第七号証は、それぞれ、原告の名古屋相互銀行及び東海銀行に対する普通預金通帳であるところ、右各通帳中には、原告主張の頃、ほぼ原告の主張する預金が引き出されている旨の記載が存するが、原告の職業に照し、かつ当時における原告の預金の預入、払戻の日時、回数等を仔細に吟昧すると、右甲号各証のみでは、未だ以てこの点に関する的確な証拠となすに足りない。

(3)  甲第八号証は、原告において豊郎に対し本件土地の分割代金を支払つた都度、原告が記載したメモである旨主張する。同号証は、手帳から切り離された手帳用紙にインキで記載されたものであるが、証人鶴田亀鶴の証言によれば、右手帳は該メモ以外に継続的な記載なく、殆んど白紙状態であつたことが認められ、また原告自身も、右メモはどこかに挾んであつた旨供述するのみで、その出所、保管状況については些か疑念なしとしないうえ、その記載内容についても、後述する如く、乙第一号証と対比して、その信憑力に欠けるところなしとしない。

(4)  甲第五号証は、豊郎の出納簿であり、全枚数二四枚のうち約七枚につき、昭和二八年一二月一五日を始めとして昭和三〇年二月八日までの同人の金銭出納が鉛筆で記載され、残余は白紙である。ところで、証人曽我豊郎の証言によると、同人は、本件に関連した自己に対する所得税の賦課処分及びこれに対する審査請求の段階において、この点に関する証拠資料を全然提出できず、審査決定後そつ然としてしかも偶然に甲第五号証の存在するのを発見した事実が認められる。当時、本件に関し豊郎ないし原告の置かれた状況からすると、同号証発見の時期及び出所については、著しく説得性を欠くものがあり、このことは、ひいて同号証の内容に対する疑念を如何ともなし得ないのである。

(三)  ところで、前記甲第四号証の一一の記載が存するにも拘らず、なお、右により直ちに原告主張の如き売買の成立時期の認定に躊躇する諸事情は、次の如きものである(証人曽我豊郎の証言及び原告本人の供述)。

(1)  前認定の如く、原告は豊郎に対し負担していた本件建物の建築代金立替債務を金三〇万円と見積り、これを昭和二四年二月頃から割賦で返済することとなつたが、それ以前たる昭和二三年頃、すでに本件建物について原告名義に所有権移転登記手続を経由していること

(2)  本件土地代金は右立替金と同額の三〇万円であり、両者とも、長期にわたる任意額の分割支払を建前としている点からして、その間多少の重複ないしは過誤あることが推認されること

(3)  原告において本件土地の分割代金の支払を全部了したにも拘らず、その後三年間、さしたる理由なきに拘らず、本件土地につき所有権移転登記が経由されないまま放置されていたこと、及び右登記手続完了時までの本件土地の固定資産税(昭和二八・九年頃は年額約一万二〇〇〇円、それ以後は不明であるが、増額されていることが推認される)は当然ながら豊郎に対し賦課されていたこと(原告は、豊郎に対して右に相当する金員を支払つていた旨供述するが、一年四期に亘る右納入事務の繁雑及び決して少額と目し得ない右税額からすると、仮令兄弟間とはいえ、本件土地代金完納のうえは、早急に原告名義に所有権移転登記手続を経由するのが通例であり、かつ、前記(1) で触れた本件建物についての早急な登記と対比して、本件土地に関する登記手続の理由なき遅延は否定すべくもないところである)。

(4)  豊郎ないしは原告は、本件土地の登記が未了であるとの理由により、原告主張の昭和二八年一二月一五日以降実に六年半の長きに亘り、本件土地の譲渡申告をする意思を有せず、且つこれをしなかつたこと

(5)  原告ないし豊郎は、本件につき再調査または審査請求の段階においては、右売買の日時を昭和二四年二月(前記立替金債務の第一回支払時期)或は昭和二五年五月五日と主張し、又、後記調停においては、これを昭和二六年五月のし、右代金は昭和三四年四月までに二回に分割して支払つた等と支離滅裂な申立をしていたこと(この点につき原告は、当時、甲第四、第五号証が発見されていなかつたため、申立に若干の齟齬があつた旨主張するが乙第一号証及び本件事実関係と対比するとき、右はしかく簡単に看過し得ない)

(6)  豊郎及び原告は、昭和三五年頃、訴外平野経理士の示唆により本件土地売買の日時を調停中で確定しようとし、原告は同年四月二一日豊郎を相手取り本件土地の所有権移転登記手続請求の調停申立をなし、同年六月一日、豊郎は原告に対し同月二〇日限り右所有権移転登記手続をなす旨の調停が成立したこと(因みに、本件登記原因の日時は、右調停の期限を記載したものと推認し得る)

(7)  豊郎は、前記審査請求に際し、訴外平野経理士に対して証明資料の作成方を依頼し、同人は、豊郎の記憶と原告の手許に存した資料に基き、乙第一号証(メモ)を作成して名古屋国税局に提出した。同号証は、豊郎において昭和二五年一一月一五日以降昭和三〇年五月二四日までの間一二回に亘り、原告から受領したとする代金の明細であるが、同号証と甲第八号証を対照すると、次の如き異同が認められる。

(同一の記載) 昭和二八年一二月三万円、昭和二九年二月二八日金五〇〇〇円、同年四月二日金二万円、同年五月一一日金三万円、同年一二月二〇日金三万円、昭和三〇年五月二四日(甲第八号証では六月二四日)金三万円

(相違点) 乙第一号証の昭和二五年一一月一五日金二万五〇〇〇円の記載が甲第八号証では昭和三〇年一一月一五日同額と記載されているほか、乙第一号証の昭和二七年七月一五日までの五回の分割金の月日および金額は、いずれも甲第八号証と同一であるが、甲第八号証においては、それぞれその支払の年が乙第一号証に比し五年ずらして記載されている。

そして、原告の主張するところによると、乙第一号証作成の当時においては、未だ甲第五号証等は発見されていなかつたこと明白であるから、むしろ、右各証拠間に存する共通の記載ないしは劃一的な差異は、そこに存する何らかの操作を看取さすに十分であること

(四)  原告は、さらに、本件土地の従前の賃借人溝口義雄に対し、新地主として更めて昭和二八年一二月頃該土地部分を賃貸した旨主張し、証人溝口たよ子、曽我豊郎の各証言及び原告本人の供述中にはこれに添う部分が存するが、これらはすべて首肯し得ない点が多く、当裁判所の心証をひかず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

三、以上説示のとおりとすれば、本件各証拠を彼此総合しても、原告の主張する如く、本件土地売買の日時は必ずしも明確になされたと断定し難い。されば、被告が、本件土地につき、その所有権移転登記手続における登記原因の日附を以て、右売買の日時と推定したのは、また止むを得ぬところというべきである。もとより、原告主張の如く、一般的には右登記原因の日附は登記原因発生の真実の日時であるとは推定し難いのであるが、前認定の如き事実関係の下において、右日附を以て本件売買の日時なりとし、これに基き相続税法第七条により、本件贈与税を決定した被告らの各処分は違法でない。その他、右各処分にはなんら格段の違法事由ありとも認め難い。

よつて、原告の本訴請求は理由がないから、棄却することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山口正夫 可知鴻平 寺本栄一)

目録〈省略〉

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